李 國秀
名前
カタカナ リ クニヒデ
ラテン文字 LEE kook-Soo
ハングル 이국수
基本情報
国籍 韓国
生年月日 1957年4月25日(56歳)
出身地 神奈川県横浜市
身長 173cm
体重 68kg
選手情報
ポジション MF
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj
李 國秀(り くにひで、이국수、イ・グッス1957年4月25日 - )は、神奈川県横浜市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。在日韓国人二世。
目次 [非表示]
1 来歴
2 選手歴
3 個人成績
4 指導歴
5 参考文献
6 外部リンク
来歴[編集]
現役時代は攻撃的MFとして読売クラブなどで活躍。在日韓国人だが「韓国のプレースタイルは自分に合わない、だから香港でプレーした」と語るように、指導者としてもショートパスを中心とした技術重視のサッカーを志向する。
横浜トライスター、桐蔭学園高校サッカー部での指導を経て1999年からはヴェルディ川崎の「総監督」に就く。ヴェルディでは監督を松永英機、張外龍が務めたが、実質的な指揮は李が執っていた。これは李が日本サッカー協会のS級ライセンスを持っていないための措置だった。
ヴェルディでは林健太郎、米山篤志、山田卓也、小林慶行など桐蔭時代の教え子らを中心としてチームを組み立て、1999年1部1stステージには周囲の予想を覆して2位につけた。その年に行われた第79回・天皇杯全日本サッカー選手権大会ではベスト4に進んだが、準決勝のサンフレッチェ広島戦で敗れた後で主審を中傷する発言をしたとして、2000年のJ1の最初の数試合ベンチ入り禁止の処分を受けた。李は2000年シーズン終了と共にヴェルディを退団。翌年からヴェルディは東京都に移転したため、「ヴェルディ川崎」としては最後の指揮官となった。
その後は読売新聞を中心にサッカーに関する評論活動をしながら、2003年に神奈川県厚木市に開場したフットサル場「エルジェイ・サッカーパーク」の経営、及び同施設での指導を行っている。2005年にはB級ライセンスを取得したが、Jリーグでの指導より少年選手・指導者の育成を重視している。
選手歴[編集]
東京韓国学園
読売クラブ 1973-1976
キャロライナヒルフットボールクラブ(香港)1976-1977
横浜トライスターサッカークラブ/全日空横浜サッカークラブ 1981-1987
個人成績[編集]
日本国内成績
国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
日本 リーグ戦 JSL杯 天皇杯 期間通算
1973 読売 JSL2部 -
1974 読売 JSL2部 -
1975 読売 17 JSL2部 13 1 -
1976 読売 JSL2部
1981 横浜トライスター 神奈川県1部 -
1982 横浜トライスター 関東 -
1983 横浜トライスター 関東 -
1984 全日空横浜 JSL2部
1985 全日空横浜 JSL1部 19 0
1986 全日空横浜 JSL2部
1987 全日空横浜 JSL2部
通算 日本 JSL1部 19 0
日本 JSL2部
総通算
指導歴[編集]
横浜トライスターサッカークラブ助監督 1981-1987
桐蔭学園高校サッカー部監督 1987-
ヴェルディ川崎総監督 1999-2000
清水商業高校臨時コーチ
鹿児島実業高校臨時コーチ
参考文献[編集]
『日本サッカーリーグ全史』日本サッカーリーグ、1993
外部リンク[編集]
Lee's Words 李国秀オフィシャルブログ
エルジェイ・サッカーパーク
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表・話・編・歴
東京ヴェルディ及びその前身チーム歴代監督
カテゴリ: 韓国のサッカー選手読売サッカークラブの選手全日空横浜クラブの選手日本のサッカー指導者東京ヴェルディの監督高校サッカー指導者在日韓国・朝鮮人のサッカー選手横浜市出身の人物1957年生存命人物
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